星降る夜に

2001年11月20日

唐突ですが、11月18〜19日にしし座流星群を見に長野県野辺山高原へ行って来ました。
高校の時の友人達が誘ってくれたのと、 今年は100年に一度の大出現との予想がされていたのとで、 「これは何がなんでも見に行ってやる」と決心して 会社に2ヶ月前から有給休暇を届け出て見に行きました。

流星雨を見せてあげるよ、フィリエル。(誰?フィリエルって・・・)

文才のない私が幾ら修飾語を散りばめようと、この素晴らしさは伝えられないと思いますが、 とにかく素晴らしかったです。
東の空、「ししの大がま」を中心に絶え間なく飛び出してくる流星。
西の空、地平線に向けて次々と落ちていく流星。
その数、多いときには(控えめに言っても)毎分40個。
まるで天から何か意思をもった存在が降りてくるかのようです。
あまりの見事さに「これは本当は幻想なんじゃないだろうか?」と疑いたくなりましたが、 空に残った流星痕と周囲の人々の歓声が、現実であることを保証してくれました。

恐らく、あの光景を見て感動しない人はいないでしょう。
正直言って、昔の流星雨の絵画のように何十個も同時に流れることをどこかで期待はしていました。 けれども、負け惜しみじゃないですけれども、 同時に3、4個見えれば、あるいは十数個の流星が20〜30秒間断続的に見えればもう、 この世のものとは思えないほどに美しいです。
後になって写真やビデオで流星を見る人も多いことでしょうが、 あんなものでは流星群の魅力は伝えられません。
いささか非科学的な態度になってしまいますが、 星空を流れていく流星を見上げた時に感じる美しさは、記録では絶対に残せないものだと言っておきます。

ラフィール、地上世界の風景も捨てたもんじゃないだろ?(だからラフィールって誰・・・)

降り注ぐ流星を見上げながら 「ビン●ディンやジョージ=ブッ●ュに見せてやりたい」とか 「今日はもっと多くの人が観測できるように祭日にするべきだった」とか 「星を見上げることが平和への第一歩だ」とか 「これで宗教を一つ興せてしまうね」とか友人と話していましたが、 本当に世の中の金や権力や主義主張の違いをめぐる争いがすべてくだらなく思えてくるくらい、 流星群は人の心を動かします。

「何をロマンティストぶってんだ、この理想主義者」というそこの君。自分の目で見てから言いなさい。 これは見た人でなければ分かりません。絶対に分かりません。 見ないで「分かった」というのもなしです。とにかく見なければ始まりません (いや、じゃあ目が見えない人はどうするんだ、とかいう話も出てくるのですが・・・)。

そして、それと裏腹に人工光のなんと無粋なことでしょう。
ときおり視界をさえぎる自動車のヘッドライト。 雲に反射して不気味に浮かび上がる100km以上離れた都市の明かり。 これらがどれだけ星空を見にくくしてしまっていることか。
都会に戻ってきて見上げた夜空にある星の数は、野辺山の100分の1以下しかありません。 愚かなことです。私も加害者の一人なんですけれども。

今回流星群を見られたのは本当に良い経験でした。 これほど見事なものは、生きている間にはもう見られないかも知れないですし、 一生忘れることはないでしょう。
私を誘って下さった方々に感謝致します。

さて、最後に流れ星に願いがけを。(笑)
なんたって10分以上も流星痕が残っているものがありましたから、 多少長くても聞いてくれるでしょう。
今後一人でも多くの人が、流星群という自然が作り出す芸術を見てその素晴らしさに酔いしれ、 それが普段の自分の生活を見つめ直すきっかけとなりますように。

それではオチも付いたので(をを珍しい)、今回はこれで失礼致します。

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