電撃文庫&電撃hpメモ
1992.9
角川歴彦氏、角川書店副社長・角川メディアオフィス社長職を辞任。
佐藤辰男氏ら、コンプティーク誌、コンプRPG誌、マル勝レーベルのPC・ゲーム各誌、角川スニーカー文庫の編集者の一部も
歴彦氏を追って角川グループから離脱。
1992.10
角川歴彦氏、佐藤氏ら、メディアワークス社設立。
主婦の友社と提携して販路確保。
1992.12ころ
電撃レーベルのPC・ゲーム各誌創刊。
1993.6
電撃文庫創刊。
1点目は「漂流伝説クリスタニア1」。内容はなんと角川分裂前にコンプRPGに連載されていたもの。
当時は隔月刊行で、作家もほとんどが角川スニーカー文庫出身。
電撃文庫に対応する専門誌もなく、連載作は電撃王などに掲載される。
1993.10
角川歴彦氏、角川書店に復帰し社長に就任。
メディアワークスが角川傘下になることが決定的になる。
しかし多くの雑誌、レーベル、作品が角川とメディアワークスに分断された状態で残ることになる。
1994
第1回電撃ゲーム3大賞開催。
以後、電撃レーベルの作家の登竜門となる。
第1回電撃ゲーム小説大賞の<大賞>は土門弘幸「オーキ伝」。
1994.1
電撃アドベンチャーズ創刊。
水野良、中村うさぎ、深沢美潮、友野詳、田中哲弥らが電撃文庫作品を連載。
1994.5
電撃文庫が毎月刊行となる。
1994.7
電撃ポストカード文庫創刊。配本は1回のみ?
旧電撃ゲーム文庫創刊。現在の電撃ゲーム文庫と違いRPG関連本のレーベル。
1996.01
電撃文庫の通巻番号が100を突破。100番目は「ある日、どこかのダンジョンで上」。
1997.2
電撃ゲーム小説大賞受賞作が必ず電撃文庫で刊行されるようになる。
1997.8
電撃G's文庫創刊。
既に刊行されていた幾つかのシリーズも電撃文庫から電撃G's文庫に鞍替え。
1997.9
旧電撃ゲーム文庫終了。
1998.2
上遠野浩平「ブギーポップは笑わない」刊行。
電撃文庫躍進のきっかけの1つとなる。
1998.6
電撃アドベンチャーズ休刊。
1998.12
電撃hp創刊。当時は季刊。
1999.2
電撃hpに第5回電撃ゲーム小説大賞<選考委員特別賞>の
志村一矢「月と貴方に花束を」が掲載され、後に文庫化。
<選考委員特別賞>はその後<選考委員奨励賞>と名を変え、
受賞作はほとんど文庫化されるようになる。
1999.5
販売が主婦の友社から角川書店へ切り替わる。
(ISBNコードも「4-07-3*****-*」から「4-8402-****-*」へ変更。)
名実ともに角川傘下に編入(復帰)。
1999.12
電撃ゲーム文庫創刊。
2000
電撃hpに時雨沢恵一「キノの旅」、秋山瑞人「イリヤの空、UFOの夏」が掲載され、話題となる。
時雨沢恵一も秋山瑞人も電撃ゲーム小説大賞で受賞に届かなかったが、
以後、最終選考、3次選考に残った場合でも、デビューすることが多くなる。
2000.11
電撃文庫の通巻番号が500を突破。500番目は電撃G's文庫の「メイドインドリーム2」。
2000〜2001
第1回電撃hp短編小説賞開催。
第1回の最優秀作品は増子二郎「ポストガール」。
2001.2
電撃hp隔月刊化。
2002.9
電撃hpSPECIAL創刊。以後、半年ごとに刊行。
(コミック電撃大王の増刊号扱いだが実質、電撃hpの増刊号。)
2002.10
電撃hpに第2回電撃hp短編小説賞で2次選考を通過した、
おかゆまさき「撲殺天使ドクロちゃん」が掲載され、話題となる。
以後、電撃hp短編小説賞で最終選考、2次選考に残った場合でも、デビューする作家が出てくる。
2003.9
オフィシャル海賊本「電撃ヴんこ」刊行。
以後、毎年名前を変えて海賊本が刊行される(のか!?)。
2004.10
電撃文庫の通巻番号が1000を突破。1000番目は「キノの旅8」。